HOLA!Amigos!るちゃ男です。派手なマスクと空中技で世界中のファンを魅了してきたルチャリブレ。その歴史の中で「オロ‐ORO(金)‐」ことヘスス・ハビエル・エルナンデス・シルバは、短いキャリアながら伝説として語り継がれる存在です。今回は、レジェンド・オロの輝かしい活躍を紹介します。今回もよろしくお願いします。記事元:El Mil Iris Jarocho
オロの誕生とルチャドールへの第一歩
1971年12月24日、メキシコのハリスコ州グアダラハラで生まれたオロは、ルチャドール一家の出身でした。父親のエステバン・エルナンデスは「カラベラ・セグンド」としてリングに立ち、息子にその技術と情熱を伝えました。1990年11月23日、18歳のオロは兄弟とともにルチャリブレデビュー。オロは「金」、兄弟は「プラタ(銀)」というリングネームを名乗り、新たなスターの第一歩を踏み出しました。


彼のスタイルは、当時としては革新的な空中技が特徴。軽やかな動きと華麗な技で、観客を瞬く間に虜にしました。
「ロス・メタリコス」の誕生と栄光
当時のCMLLは、オロとプラタに3人目のルチャドール「ラティーノ」を加え、「ロス・メタリコス」を結成。空中戦を得意とするこのトリオは、鮮烈なパフォーマンスで一気に人気を博しました。
そしてデビューからわずか1年後の1991年12月4日、オロとプラタは「ロス・デストルクトーレス」を破り、メキシコナショナルタッグチームチャンピオンとなりプロレス界での地位を確立しました。

オロの人気は国境を越え、1992年には日本への招待が実現。日本のファンも彼の技術とカリスマ性に魅了され、海外での成功を手にしました。
頂点への道と突然の変化
帰国後、オロは「ロス・メタリコス」から距離を置き始め、独自の道を歩みます。チームのポジションは「ブロンセ(銅)」に引き継がれ、オロはシングルプレイヤーとしての挑戦を続けました。1993年5月23日、彼は「マノ・ネグラ」を破り、NWA世界ミドル級選手権を獲得。これは彼が生涯で唯一獲得したシングルタイトルであり、キャリアの頂点とも言える瞬間でした。

しかし、オロとマノ・ネグラのライバル関係は、「マスカラvsマスカラ」という夢の対決で決着を迎えるはずが、彼の意向で実現しませんでした。家族との時間を優先し、旅を減らしたいと願ったオロは、リングから徐々に遠ざかっていったのです。
運命のリング:オロの最後の戦い
1993年10月26日、メキシコシティのアレナ・コリセオで行われた試合が、オロの運命を決める日となりました。「ラ・フィエラ」「ブラソ・デ・プラタ」とタッグを組み、「カオス」「ドクトル・ワグナーJR」「ハケ・マテ」と対戦中、相手のクローズラインを受けたオロは頭から落下。その後立ち上がれず、リングサイドで崩れ落ちました。
医療スタッフが駆けつけ、担架で運ばれましたが、2回目のゴングが鳴る前に息を引き取りました。あと2ヶ月で22歳という若さでの別れでした。
家族の意向で解剖は行われませんでしたが、死因は脳動脈瘤とされています。リングに散った若き天才は、ルチャリブレ界に大きな衝撃を与えました。


オロが残したもの
オロのキャリアは短くとも、その影響は計り知れません。空中技の先駆者としてのスタイルは後進に受け継がれ、彼の名は今もファンの心に刻まれています。家族との時間を大切にしようとした彼の選択は、人間らしい一面を垣間見せ、伝説に深みを加えています。
ルチャリブレ史に燦然と輝く「オロ」。彼の物語は、リングの外でも語り継がれるべき不朽の遺産です。