アルベルト・デル・リオ:メキシコの誇るプロレス界の貴公子

ルチャリブレ情報

HOLA amigos! るちゃ男です。今回は、メキシコのルチャリブレ界の貴公子、アルベルト・デル・リオを紹介します!CMLLでの飛躍からWWEでのスター街道、そして現在の世界的な活躍まで、彼の魅力を簡単にですが紹介します。
メキシコのレジェンド、ドス・カラスの息子でもある彼が、来月1日にGLEATのリングでどんな戦いを見せるのか、注目です!  
           文章:るちゃ男yGrok

メキシコの伝説の息子

アルベルト・デル・リオ(本名:ホセ・アルベルト・ロドリゲス・チュクアン)は、メキシコを代表するルチャドールであり、ルチャリブレ界の伝説的ルチャドール、ドス・カラスの息子として1977年5月25日にサン・ルイス・ポトシで生まれました。彼の家系はルチャリブレ界の名門で、叔父にはWWE殿堂入りのミル・マスクス、従兄弟にはシコデリコ・ジュニアがいます。このような背景から、アルベルトは幼少期からルチャリブレの世界に親しみ、後に自身もリングで輝く存在となります。

また、アルベルトはプロレスだけでなく、グレコローマンレスリングでも優れた実績を持つ選手です。メキシコ代表として1997年の世界ジュニア選手権で3位を獲得し、2000年のシドニーオリンピック出場も期待されましたが、メキシコがレスリングチームを派遣しなかったためその夢は叶いませんでした。それでも、彼の格闘技への情熱は衰えず、プロレスと総合格闘技(MMA)の両方でキャリアを築くことになります。

ドス・カラス・ジュニアとしてのAAAデビューと初期の活躍

アルベルトのプロレスキャリアは、2000年にメキシコのルチャリブレ団体AAAで始まります。
父ドス・カラスの下で厳しいトレーニングを積み、ルチャリブレの技術を磨いた彼は、2000年5月9日に「イホ・デ・ドスカラス」としてデビュー。父の象徴である双頭の鷲をモチーフにしたマスクを被り、リングに登場しました。このデビュー戦は劇的で、父ドス・カラスがピラタ・モルガンエル・テハノに襲撃されている場面に駆けつけ、華麗な動きで救出。空中技とグレコローマンレスリングの技術を融合させたスタイルで観客を魅了し、将来のスター候補として一躍注目を集めました。

デビューからわずか数か月後の2000年9月29日、アルベルトはAAAのPPVイベント「Verano De Escandalo 2000」に出場。エル・アリブリヘ、ラ・パルカ、サングレ・チカナと組み、エル・コバルデ2号、エル・テハノ、エスペクトロ・ジュニア、ピラタ・モルガンとの8人制タッグマッチで勝利を収め、ルーキーながら大舞台での存在感を示しました。2001年1月21日には、父ドス・カラスとタッグを組み、メキシコナショナルタッグ王座に挑戦。対戦相手は因縁のピラタ・モルガンとエル・テハノでしたが、キャリア初のタイトルマッチは惜しくも敗戦に終わりました。

動画元:Jecko MTY MX

その後もアルベルトは日本での試合に挑戦します。2001年10月14日、格闘探偵団バトラーツの「格闘ロマン2001 〜YUKI-BOM-BA-YA〜」で村上和成と対戦し、4分23秒で反則勝ちを収めました。2002年11月17日には、K-1、ドリームステージエンターテインメント、全日本プロレス共催の「WRESTLE-1」に参戦。サム・グレカラスと組み、カズ・ハヤシ&太陽ケアをダブル・フライング・クロスチョップで破り、観客を大いに沸かせました。同年12月15日、ZERO-ONEでジミー・スヌーカ・ジュニアと組み、横井宏考&佐藤耕平を撃破。2003年7月にはZERO-ONEのOH祭タッグトーナメントにリスマルク・ジュニアと出場したが、2回戦で小川直也&藤井克久に敗れました。

2004年はハッスルのリングでも活躍。1月4日の旗揚げ戦「ハッスル1」でソラールと組み、カズ・ハヤシ&小島聡に挑むも敗戦。同年10月23日の「ハッスル6」では、リスマルク・ジュニア(エル・ハテナ・ウノ)と「エル・ハテナ・ドス」としてコミカルなキャラクターで登場し、ハッスル仮面きん&ハッスル仮面ぎんと対戦しましたが敗戦。これらの日本での試合は、アルベルトの国際的な認知度を高め、後のCMLLやWWEでの成功への足がかりとなりました。

CMLLでの飛躍

2005年、アルベルトはメキシコ最大のルチャリブレ団体CMLLに移籍し、才能が本格的に開花します。2007年7月8日、ウニベルソ2000を破り、CMLL世界ヘビー級王座を獲得。このタイトルを533日間保持し、4度の防衛戦を戦いました。

しかし、当時のルチャリブレは軽量級が重視される傾向があり、ヘビー級王座は団体トップの象徴とは言い難かった時代。それでも、アルベルトのテクニカルなレスリングスタイルとカリスマ性は観客を魅了し、彼の名はメキシコ中に広まりました。

2009年、突如WWEとの契約交渉が浮上し、彼の動向がTelevisa系(当時のCMLL最大スポンサー。Mexicoで1番のTV局)のスポーツニュースで報道されるなど注目が集まりました。その後、彼はCMLL世界ヘビー級王座をウルティモ・ゲレーロに譲り、新たな挑戦の場へと向かいました。

ドスカラスの息子からアルベルト・デル・リオへ‐WWEでのスター街道‐

2009年、アルベルトはWWEと3年契約を結び、翌2010年6月25日に「アルベルト・デル・リオ」としてスマックダウンでデビューを果たします。父親から受け継いだマスクを脱ぎ、裕福なメキシコ貴族を思わせる傲慢なヒール(悪役)キャラクターで登場した彼は、レイ・ミステリオをクロス・アームブリーカーで破る鮮烈なデビューを飾りました。デル・リオは、豪華な車で入場し、専属リングアナウンサーのリカルド・ロドリゲスを従えるなど、大金持ちのメキシコ人としてのキャラと派手な演出でWWEユニバースを席巻しました。

動画元:WWE

2011年はアルベルトのキャリアの頂点とも言える年だったのではないでしょうか。
1月のロイヤルランブルで40人制の試合を制し、史上初のメキシコ出身ウィナーに輝きました。

同年7月のマネー・イン・ザ・バンク戦でも勝利し、WWE史上初めて同一年に両方の栄冠を手に入れたスパースターとなりました。さらに8月のサマースラムでCMパンクを破り、WWE王座を初獲得。その後も世界ヘビー級王座を2度US王座を2度獲得するなど、WWEのトップスターとしての地位を確立しました。

しかし、2014年8月、WWE社員とのトラブル(人種差別的発言への反応とされる)が原因で契約解除。アルベルトはメキシコに戻ります。「アルベルト・エル・パトロン」としてAAAや他のインディー団体で活躍を続けていたアルベルトは、2015年にWWEに復帰します。ジョン・シナからUS王座を奪うなど再び存在感を示したが、2016年にWWEを離れ再びメキシコに戻ります。

世界各地での活躍とMMAへの挑戦

WWE退団後、アルベルトはAAAROHルチャ・アンダーグラウンドインパクト・レスリングなど世界中のプロレス団体で活動。2014年12月にはAAAメガ王座を獲得し、CMLLとAAAの両方で世界ヘビー級王座を保持した初のルチャドールとなりました。また、インパクト・レスリングでは2017年に世界ヘビー級王座を獲得するなど、数多くのリングで実力を証明し活躍してきました。

プロレスの傍ら、アルベルトは2001年から2010年までMMAにも挑戦します。PRIDEや他の団体で9勝5敗の戦績を残し、特にマスクを被ったまま戦う「ドス・カラス・ジュニア」としての姿は話題を呼びました。2019年にはUFC殿堂入りファイターのティト・オルティスとカリフォルニア州インディオで対戦し、MMAへの復帰も果たしています。

現在の活躍と日本への凱旋

現在、アルベルトは「アルベルト・エル・パトロン」としてAAAやインディー団体で精力的に活動中です。メキシコのルチャリブレ界のレジェンドとして、若手レスラーやファンからリスペクトを集めています。また、2019年にはチャボ・ゲレロ・ジュニアと共にメキシコで新団体「ナシオン・ルチャ・リブレ」を設立し話題になりました。

彼のリングでのスタイルは、テクニカルなレスリングとクロス・アームブリーカーなどのサブミッション技を軸にしたものです。父ドス・カラスから受け継いだルチャリブレの精神と、WWEで磨き上げられた華やかなパフォーマンスがルチャの伝統と調和し、今なお観客を大いに沸かせています。

来月2025年7月1日、アルベルト・デル・リオは日本のプロレス団体GLEATのリングに登場します。日本での試合は彼にとって特別な意味を持ち、かつてドス・カラス・ジュニアとして活動した地で再びファンを沸かせることでしょう。この試合は彼のキャリアに新たな輝かしい一ページを刻む事でしょう。

メキシコの誇りを胸に、アルベルト・デル・リオの戦いはまだまだ続きます。