HOLA AMIGOS!! こんにちは、るちゃ男(lucha-o)です。
先日、CMLLのカリスティコが再び「ミスティコ」に名前を戻して活動することを発表しました。このニュースは、多くのファンに驚きと興奮をもたらしたのではないでしょうか(記事の執筆は2021年)
しかし最近ルチャリブレを見始めた方の中には、現在の「ミスティコ」は知っているけど、過去にどんな活躍をしたのか?知らない方が多くいるのではないでしょうか。
そこで今回は、ルチャリブレ界の至宝とも言われる「ミスティコ」の、デビューから絶頂期と今現在にかけて当時ミスティコブームを体験した僕、るちゃ男がミスティコの輝かしい活躍を簡単にご紹介したいと思います。彼の活躍を振り返りながら、改めてその偉大さを感じていただければ嬉しいです。それでは、今回もよろしくお願いします!
記事元:WIKIPEDIA
文章:るちゃ男yAI記者Gemini
「神の子」誕生の舞台裏──ミスティコという象徴が生まれるまで
ミスティコが「神の子(El Hijo del Santo)」と呼ばれるのは、単なるニックネームではなく、彼のキャラクター設定とその象徴性に深く根ざしています。2003年、CMLLは次世代のスターを求めて、新たな象徴となるルチャドールの創出に乗り出しました。そこで登場したのが、宗教的なイメージをまとったキャラクター――司祭フライトルメンタルの弟子という設定を持つ「サグラド」でした。


神聖さと神秘性を兼ね備えたこのキャラクターは、まさに“神の使い”のような存在として期待されていました。しかし、現実は理想とは異なりサグラドはデビュー直後から重圧に押し潰され、観客の期待に応えるパフォーマンスを見せることに苦労しました。華麗な空中技や大胆なムーブが求められるルチャ・リブレの世界で、彼は思うように身体を動かせず、団体から求められた結果を残すことがなかったのです。
後年、サグラド自身がインタビューで、デビュー当初は極度の緊張に苛まれ、特にハイリスクな技の実行においては恐怖心が先立ち、思い切った動きができなかったと語っています。彼の言葉からは、若きルチャドールが背負った期待と葛藤、そして舞台裏での苦悩が痛いほど伝わってきます。
そして2004年、CMLLは再び宗教的なイメージを持つキャラクターに賭ける決断を下します。今度は孤児としての設定を与えられたミスティコがデビュー。彼は実際に神父でありルチャドールでもあるフライ・トルメンタからルチャの技術と精神を学び、その教えを体現する存在としてリングに立ちました。
ミスティコのマスクやコスチュームには、十字架や天使を思わせる宗教的な意匠が施され、白を基調とした神聖な雰囲気を漂わせています。試合前にマントをまとい、胸の前で静かに手を合わせるその姿は、カトリック教徒の多いメキシコにおいて神父を連想させるものであり、観客の心に強い印象を残しました。


こうして、サグラドが果たせなかった“神の子”という象徴的役割を、ミスティコは圧倒的な存在感と実力で見事に体現したのです。彼の登場は、CMLLにとって宗教的キャラクターの再定義であり、ルチャ・リブレの歴史に新たな神話を刻む瞬間でもありました。
ミスティコ人気の裏にいた影の立役者──ウルティモ・ゲレーロという“壁”の存在
2000年代半ば、メキシコのルチャ・リブレ界に“神の子”ミスティコが登場し、瞬く間に爆発的な人気を獲得しました。アレナ・メヒコをはじめ、彼が出場する会場はどこも満員となり、観客の熱気がリングを包み込むような状況が続いていました。会場全体が一体となる様子は、宗教的な儀式を思わせるほどの高揚感を感じるほどでした。
しかし、このブームの背景には、当時選手として絶頂期だったウルティモ・ゲレーロの存在が欠かせません。
ウルティモ・ゲレーロは、1997年末にプロモ・アステカからCMLLへ移籍。その後着実にその実力と存在感を高めていきました。特に、ミスティコがCMLLで鮮烈なデビューを飾り、テクニコのトップとして人気を集め始めた頃、ウルティモ・ゲレーロはまさにルードのスーペル・エストレージャ(スパースター)の階段を駆け上がっている真っ最中でした。
当時のウルティモ・ゲレーロは肉体的にも技術的にもまさに「向かう所敵なし」の状態で、その圧倒的な強さとダーティーなファイトスタイルで、CMLLマットにおけるルード戦線の中心に君臨していました。

一方、ミスティコは華奢な体格と空中技で人気選手の一人となっていました。そして両者の対比は“神の子”が“巨悪”に挑む構図を形成。この構図は、観客の感情を強く揺さぶる要素となっていきました。
特に印象的だったのは、ミスティコ対ウルティモ・ゲレーロのシングルマッチです。ミスティコは幾度となく技を跳ね返され、叩きつけられながらも挑戦を続けました。彼が敗北するたびに観客の応援は高まり、勝利を収めると会場は歓喜に包まれました。この「敗北→応援→勝利→歓声」というサイクルが、ミスティコを単なる人気選手ではなく、社会現象的なブームの中心へと押し上げる原動力になったと思います。
ウルティモ・ゲレーロは、ミスティコにとって常に立ちはだかる“壁”であり、その存在がミスティコの物語に深みを与え、神話性を際立たせました。ウルティモ・ゲレーロがいなければ、ミスティコの人気はここまで爆発的なものにはならなかったでしょう。これは、現地でその熱狂を目撃してミスティコブームを体感したるちゃ男の感想です。
国民的英雄:ミスティコがメキシコを熱狂させた時代
ミスティコの人気は、まさに社会現象と言える一大ブームを巻き起こしました。彼はデビューからわずか数年で、ルチャリブレ界のトップに君臨するスーペル・エストレージャ(スーパースター)へと駆け上がりました。人気音楽グループのミュージックビデオにゲスト出演するなど、その名声はプロレスの枠を超えて急速に広がり、2008年の北京オリンピックでは、メキシコ代表として現地取材を行うまでに至りました。この頃、メキシコ国内でミスティコを知らない人はいなかったと言っても過言ではなく、彼はルチャリブレの枠を超えた、国民的英雄として絶大な人気を誇っていました。
電撃移籍の衝撃:ミスティコがCMLLを離れ、WWEへ渡った日
2011年ルチャリブレ界に大きな衝撃が走ります。ミスティコのWWE移籍です。この事はすぐに話題になりTVニュースで報道されるほどメキシコ中が大騒ぎになったのを覚えています。しかし、彼がWWEで「シン・カラ」として歩んだ道は、決して平坦なものではありませんでした。
ミスティコはデビュー直後から、その華麗な空中殺法でファンを魅了しました。しかし、WWEは彼をメキシコでの成功そのままに「第二のレイ・ミステリオ」にしようとしました。これこそが、彼がWWEで苦戦を強いられた最大の原因だったのかもしれません。
レイ・ミステリオは、WWEに来るまでにECWやWCWで長年のキャリアを積み、アメリカンスタイルのレスリングを習得していました。また、英語も堪能で、リング上で対戦相手とスムーズなコミュニケーションを取ることができたのです。一方、ミスティコは人生のほとんどをルチャスタイルで戦ってきました。彼はWWEのリングや試合のペースに慣れるための時間が必要でした。しかし、WWEは彼にその時間を与えませんでした。


メキシコですでにスーパースターだったということも、彼にとっての足かせとなりました。レイ・ミステリオがWWEに加入した頃はまだ自分の名を売っている最中で、大きなエゴを持たず、与えられたポジションに満足していました。しかし、ミスティコはメキシコでメインイベントに慣れきっており、すぐにトップに押し上げられなかったことに不満を抱いたと言われています。彼の強いプライドが、WWEでの成功を阻む一因となったのかもしれません。
さらに、度重なる怪我や言葉の壁がミスティコの立場を悪くしていきました。結果わずか3年でWWEとの契約は終了してしまいました。
結果として、ミスティコと契約し、彼を性急に次のレイ・ミステリオにしようとしたのは、WWEにとって大きな誤算だったと言えるでしょう。才能ある選手をじっくりと育成するのではなく、すぐに結果を求めた彼らの判断は、ルチャリブレ界の至宝を活かしきることができませんでした。
新章の始まり:ミスティコが「ミステシス」としてAAAに降り立った日
国民的英雄としてCMLLのリングを離れ、WWEで「シン・カラ」として苦闘したミスティコは、2014年にメキシコへ帰還します。しかし彼が降り立ったのは、古巣のCMLLではなく、長年のライバル団体であるAAAでした。
当時、CMLLが所属選手向けに「ミスティコとは関係を持たないように」というコメントを出したらしいと言う噂がグアダラハラのルチャリブレ選手の間で話題になりました。それくらいこの問題はルチャリブレ界で大きなそしてデリケートな問題でした。
そして彼はAAAでは「ミステシス(Myzteziz)」という新しいリングネームを名乗り、ルチャリブレ界の誰もが予想しなかった新章をスタートさせました。

AAA移籍が引き起こした「代理戦争」
ミスティコのAAA登場は、CMLLとAAAの間にくすぶっていたライバル関係を再燃させる、大きな火種となりました。CMLLは、彼が使用していた「ミスティコ」というリングネームの商標権を固く保持しており、AAAではその名前を使うことができませんでした。
さらにCMLLはすぐに2代目ミスティコをデビューさせます。そのミスティコというキャラクターが個人ではなく、団体の財産であることを強くアピール。一方、AAAはミステシスをCMLLから離れたスーパースターとして大々的に売り出し、両団体はメディアやリング上で激しい舌戦を繰り広げました。ミステシスの移籍は、両団体のプライドをかけた「代理戦争」の始まりだったのです。
「ミステシス」としての新たな挑戦
AAAでのミステシスは、CMLL時代のような絶対的な人気をすぐに取り戻すことはできませんでしたが、彼が繰り出す華麗な空中殺法は健在で、多くのファンを再び魅了しました。
彼はAAAを主戦場に、かつてのライバルであるラ・パルカらとリングで再会し、新たな名勝負を生み出しました。しかし、ミステシスとしての活動は長くは続きませんでした。彼は再びルチャドールとしてのアイデンティティを模索し、やがて古巣であるCMLLへの復帰を決断するのです。

CMLLへの帰還、そして「ミスティコ」の復活
WWEからメキシコに戻った後、AAAでの短い活動を経て、ミスティコは2015年に古巣であるCMLLに復帰しました。復帰後彼はリングネームを「カリスティコ」に変えます。そして2021年世界がコロナの影響を受けていた時期に誰も想像しなかったことが起こります。2代目ミスティコであった現ドラリスティコがCMLLとの契約内容の不満や自身のキャリアアップのため同団体を退団しました。
このドラリスティコの退団によりカリスティコが、再び「ミスティコ」のリングネームを正式に譲り受け、再びCMLLの絶対的なエースとして君臨することが認められたのです。
CMLLに帰還したミスティコは、再びテクニコの頂点として、ルード戦線の中心で活躍しました。彼は変わらぬ華麗な空中殺法と、熟練した試合運びで観客を熱狂させ、CMLLの黄金時代を支える存在として君臨し続けました。
再びアメリカマットへ挑戦そして世界へ
2015年にCMLLへ帰還したミスティコは、その地位を確固たるものにしながら、活動の場をメキシコ国内に留めることなく世界で活躍をする選手となりました。そしてCMLLと正式な提携関係のアメリカの主要プロレス団体へと参戦し、ルチャドールとしての新たな道を切り開いています。
- MLW(Major League Wrestling)での躍動
ミスティコは、アメリカのMLW(メジャー・リーグ・レスリング)のリングに登場し、現地のファンにその華麗なルチャスタイルを披露しています。CMLLで磨き抜かれたテクニックと、観客を一瞬で惹きつけるスター性は、アメリカのファンからも高い評価を得ました。彼は、MLWのタイトル戦線にも絡むなど、技術と存在感を兼ね備えたトップ選手として確固たる地位を築いています。
- AEW(All Elite Wrestling)での存在感
AEW(オール・エリート・レスリング)のリングにもスポット参戦を果たし、その存在感を示しています。またミスティコ以外にもAEWはCMLLの選手を積極的に起用しており、、団体の持つ多様なスタイルに新たな刺激をもたらしています。ミスティコのリング上での動きは、AEWのトップスターたちにも引けを取らず、世界のファンに「ミスティコ」という名が未だに輝いていることを証明しました。
最近ではAEWのMJF(マックスウェル・ジェイコブ・フリードマン)と抗争中で今年のCMLLのアニベルサリオ92大会ではMJFとのチャンピオンタイトルvsマスカラも決定しています。

このように、ミスティコはCMLLのエースとして君臨しつつ、アメリカのメジャー団体でも活躍するという、これまでにないキャリアを築いています。彼は、自らのパフォーマンスによってルチャリブレの枠を超えた人気と評価を獲得し、2025年以降も選手としてさらなる高みへと登り続けていく事でしょう。




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