ルチャリブレのレジェンド、Dr・ワグナー

Mas Lucha Libre!

Hola Amigos!るちゃ男です。今回はNOAHのGHCヘビー級チャンピオンのイホ・デル・Dr・ワグナーJr選手の祖父Dr・ワグナーと父親のDr・ワグナーJr選手をご紹介します。今回もよろしくお願いします。

マヌエル・ゴンザレス・リベラ、伝説の始まり

1936年、メキシコ北部のサカテカス州サカテカスに、マヌエル・ゴンザレス・リベラという少年が生まれました。彼は後に、Dr・ワグナーとして、ルチャリブレ界に伝説を刻むことになります。


幼少期にコアウイラ州トレオンに移り住んだマヌエルは、そこで人生の大半を過ごします。そして、ルチャリブレへの情熱を抱き、グアダラハラの「ヘラクレス・ジム」で厳しいトレーニングに励みます。当時、彼は午前5時に起床し、市場で荷下ろしなどの仕事に汗を流し、その後ルチャの練習に打ち込むという過酷な生活を送っていました。

1971年、ついにマヌエルはセンティージャ・ネグラ(黒い稲妻)の名でデビューを果たします。グアダラハラのリングで、その才能と情熱を爆発させた彼は、瞬く間に観客を魅了し、スターへの階段を駆け上がっていきます。

Dr.ワグナー誕生

センティージャ・ネグラとしてデビューしたマヌエル・ゴンザレス・リベラだったが、その名前は長くは続きませんでした。1960年代のルチャリブレ界では、悪役医師をモチーフとしたキャラクターが流行しており、メキシコ北部を仕切っていたプロモーター、エリアス・シモンはマヌエルに「エル・イホ・デル・メディコ・アサシノ(殺人医師の息子)」というリングネームに変更することを提案します。

マヌエル自身は殺人医師のキャラクターは気に入っていたものの、本物のメディコ・アサシノはすでに亡くなっており、その選手のニセの息子になることに抵抗がありました。

そしてある日、マヌエルは自宅で聞いていた音楽の作曲家、リヒャルト・ワーグナーを思い出し、「Dr.ワグナー」という名前を思いつきます。

DR・ワグナーという名前は、マヌエルが求めていた悪役医師のキャラクターのイメージにぴったりと合致し、彼の新たなリングネームとして定着することになります。

Doctor Wagner, rudo lagunero de leyenda , El Siglo de Torreón

今もなお語り継がれるSuper Estrella Dr・ワグナー

メキシコ、クエルナバカのアレナ・イサベル。伝説の舞台に、一人の男がデビューを飾ります。彼の名は、マヌエル・ゴンザレス・リベラ。そしてその日、彼はリングネーム「Dr. ワグナー」として生まれ変わりました。

北メキシコでシクロン・ベロスの指導を受け、才能を開花させたマヌエル。その名はメキシコシティにも届き、彼はチャンスを掴みます。1965年2月28日、メキシコ最大のプロレス団体EMLLのアレナ・コリセオに初出場を果たします。

身長175cm、体重93kgと恵まれた体格、そして巧みな試合運び。観客はすぐに彼の虜になります。そして、Dr. ワグナーという名前が、彼の存在をさらに際立たせました。

Dr. ワグナーは、ルチャリブレ界を代表するスーパースターとなります。シングルは勿論、タッグマッチではアンヘル・ブランコと共に数々のタイトルを獲得し、観客を熱狂させます。彼の活躍は、今もなお語り継がれています。

殺人医師2世‐Dr・ワグナーJr‐

1965年、メキシコ・コアウイラ州トレオンに生まれた彼は、幼き頃から父であるドクトル・ワグナーの指導を受け、ルチャの英才教育を受けます。その結果、スポーツ全般に秀でた才能を開花させ、1986年4月、20歳の時にメキシコのLLIで華々しくデビュー。

日本への初来日

1988年5月、新日本プロレスに初来日を果たした彼は、その類稀な才能を日本のファンに知らしめました。また1993年にはCMLL世界タッグ王座、CMLL世界ライトヘビー級王座を連続して獲得し、名実ともにエストレージャとしてトップ選手の階段を上り始めます。

新日本プロレスで評価を高める

1997年に再び新日本プロレスに参戦した彼は、スケールの大きな試合で観客を魅了し、選手、ファン、マスコミから高い評価を得ます。1998年にはベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで準優勝、1999年にはIWGPジュニア・タッグ王座を獲得するなど、目覚ましい活躍で人気選手となりました。

動画元:NJPW WORLD Official

「殺人医師2世」の名に反する華麗な技巧と驚異的なパワー

父のマスクを受け継ぎ「殺人医師2世」を名乗るドクトル・ワグナー・ジュニアだが、そのファイトスタイルは正統派のテクニシャン。軽快な身のこなしで空中殺法を得意とする弟とは対照的に、ジュニアヘビー級選手ながら投げ技などのパワー殺法を得意とする。その驚異的なパワーはプロフィールの体重98kgを軽く超えるのではないかという噂を呼び、試合前のリング上で体重計に乗る事を迫られた事があったほど。
さらに驚異的なスタミナと高い受け身の技術を持ち、多様なファイトスタイルに対応できる彼は、ジュニアヘビー級の選手層が厚い新日本プロレスにおいても非常に高い評価を受けている。難度の高い技の応酬も見事にこなすその姿は、まさに「メキシコの誇り」と呼ぶにふさわしい選手。
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