HOLA!Amigos!るちゃ男です。今回はメキシコのルチャリブレ界にその名を刻んだ伝説のルチャドール「モチョ・コタ」をご紹介します。モチョ・コタは荒々しさとユーモアを武器にリングを沸かせ、数々のタイトルとカベジェラ戦を勝利してきました。彼の人生は、まさに波乱万丈。デビューから栄光の日々を紹介します。今回もよろしくお願いします。記事元:El Mil Iris Jarocho(You Tube)
モチョ・コタ:メキシコの荒々しき伝説
メキシコのルチャリブレの歴史には、数々の個性的なルチャドールが名を刻んできました。その中でも、「モチョ・コタ」ことマヌエル・コタ・ソトは、独特のスタイルと不屈の精神でファンを魅了した存在です。日本のプロレスファンにはあまり馴染みのない名前かもしれませんが、彼の人生とキャリアは知る価値のある物語に満ちています。
モチョ・コタの素顔とリングネームの由来
モチョ・コタは1954年6月5日、メキシコに生まれました。中程度の身長に細身の体型、そして右手の2本の指が欠けているという特徴を持っていました。この欠損が彼のリングネーム「モチョ(スペイン語で“切り落とされた”の意)」の由来と言われています。
多くのルチャドールがマスクで個性を表現する中、彼はマスクを一切使わず、素顔でリングに立ち続けました。一貫して「モチョ・コタ」という名前を使い、そのシンプルさが逆に彼の強烈な個性を際立たせていました。

ルチャリブレデビューと栄光の軌跡
1979年にルチャリブレデビューを果たしたモチョ・コタは、瞬く間にメキシコのリングで存在感を示しました。彼の試合スタイルは、荒々しさとユーモアが絶妙に混ざり合ったものでした。血生臭い戦いが特徴的だった一方で、観客を楽しませるエンターテイナーとしての才能も持ち合わせていたのです。その結果、子供から大人まで幅広い層から愛されるルチャドールとなりました。
キャリアを通じて、彼は数々のタイトルと「カベジェラ(相手の髪を賭けた試合)戦」での勝利を手にしました。1982年11月12日、タリスマンを破りナショナル・ウェルター級王座を獲得。翌1983年7月には、ラ・フィエラとタッグを組み、リンゴ・メンドーサとカチョロ・メンドーサとのカベジェラ戦に臨み見事に勝利。さらにウェルター級王座は265日間保持し、彼の実力を証明しました。
しかし、1983年8月4日、チャマコ・バルガスに敗れタイトルを失います。それでも諦めないモチョ・コタは、1984年1月27日、アメリコ・ロッカを下してNWA世界ウェルター級王座を獲得。同年7月26日に再びバルガスに敗れるものの、9月7日にはカベジェラvsカベジェラでリベンジを果たし、バルガスの髪を手にしました。さらに1986年3月、サングレ・チカナと組み、タリスマンとファラオンの髪の毛を手にするなど、彼のキャリアは勝利とドラマに彩られています。

試練と別れ
モチョ・コタの人生はリング外でも波乱に満ちていました。1980年9月26日、偉大なルード、エル・サタニコとのカベジェラvsカベジェラの試合で敗れ、自らの髪を奪われる屈辱を味わっています。それでも彼はその後も立ち上がり続け、ファンを裏切らない戦いを貫きました。
しかし、2016年12月22日、彼の物語は突然終わりを迎えます。メキシコ・ソノラ州エルモシージョの自宅で転倒し、その時のケガが原因でこの世を去りました。享年62歳。ルチャリブレの歴史に名を刻んだ男の最期は、あまりにも静かで、リングでの激しさとは対照的でした。

モチョ・コタの遺したもの
モチョ・コタは、華やかなマスクや派手なギミックに頼らず、純粋な技術と個性でリングを支配したルチャドールです。彼の試合は、荒々しさの中にもユーモアがあり、観客を引き込む力がありました。日本のストロングスタイルとは異なる、ルチャリブレならではの自由でダイナミックな魅力を体現した彼は、まさに唯一無二の存在です。
モチョ・コタの名は、メキシコのプロレス史において今も輝き続けています。彼を知ることで、ルチャリブレの奥深さや、その裏に隠された人間ドラマに触れることができるでしょう。伝説のルチャドール、安らかに眠れ。