1934年――それは、メキシコという国が空を飛び、夢を掴み、そしてリングの上で新たな物語を紡ぎ始めた年だった。
空を翔けた希望の翼
5月15日、メキシコシティのバルブエナ飛行場からアカプルコへの初の商業飛行が実現。 乗客2名と乗員2名を乗せたその小さな飛行機は、プロペラを手動で回して始動するという時代の名残を残しながらも、空の旅が現実になる瞬間を告げた。

この出来事は、当時のメキシコにとって単なる技術革新ではなく、国民の夢と誇りを乗せた象徴的な一歩だった。 同時に、アメリカからの観光客を呼び込むためのキャンペーンも展開され、メキシコは国際的な観光地としての顔を見せ始める。
覆面とルード、リングに現る
その頃、リングの上でも新たな革命が起きていた。 メキシコ初の覆面レスラー「エル・エンマスカラド」が登場。その正体は、アメリカ人レスラーのシクロン・マッキー(Cyclone Mackey)。 彼は1934年にメキシコで試合を行い、初めてマスクを着けてリングに立った選手として記録されている。 その姿は「La Maravilla Enmascarada(覆面の驚異)」と呼ばれ、観客の心を一瞬でつかんだ。

また同年、ルチャリブレ史上初の“ルード(悪役)”選手も登場した。 彼の名前はライ・ラヤン(RAY RAYAN)。 マスクを着けていなかったが、観客と対立するキャラクター性を持ち込んだ最初のルチャドールとして、ルチャリブレに新たな役割を生み出した。
この年は、覆面文化と悪役文化という、ルチャリブレの二大要素が誕生した記念すべき年だった。

一枚の宝くじから始まる未来
そして、もうひとつの運命的な出来事。 EMLLの創設者サルバドール・ルテロ・ゴンサレスが、宝くじの大賞を当てた――その日付は、なんとメキシコレスリング団体の創立1周年と同じ日だった。
当選番号は「4242」。 この偶然とも必然とも言える出来事が、のちにルチャリブレの発展に大きく関わる資金源となったとされている。


芸術と文化の開花
同年9月29日には、アベラルド・ロドリゲス大統領の手によってベジャス・アルテス宮殿が正式に開館。 芸術と文化の殿堂が誕生し、メキシコは空・リング・舞台という三つのフィールドで、同時に新たな時代を迎えた。


1934年という奇跡の年
1934年は、ただの年ではない。 それは、空を飛ぶ夢、リングで戦う情熱、そして文化を育む誇りが交差した、メキシコ近代史のターニングポイントだった。


