CMLL:グラン・ゲレーロ インタビュー『Esto es Lucha』ポッドキャストより 前編

Hola!Amigos!!るちゃ男です。今回は、CMLLを代表する若き戦士、グラン・ゲレーロ選手のインタビューをお届けします!
先日のタイトルマッチの感想から、デビュー当時のエピソード、そして“U・ゲレーロの弟”として背負う覚悟まで── 彼が語ってくれたのは、リングの上では見えない素顔と、ルチャリブレにかける熱い想いでした。

無名時代に味わった悔しさ、偉大な選手のマスクを継ぐという重責、そして「グラン・ゲレーロ」という名前を自分の力で輝かせたいという強い意志。 その一言一言から、ルチャの“誇り”と“進化”が伝わってきます。
「Esto es Lucha(これがルチャだ)」── この言葉の意味を、彼の歩みから一緒に感じもらえればうれしいです。ではインタビュー前編をどうぞ
文章:るちゃ男yAI記者Copilot

「仮面の継承──グラン・ゲレーロ、名を受け継ぐ者の覚悟」

ESTO ES LUCHA: EL PODCAST OFICIAL DEL CMLL
– GRAN GUERREROインタビュー

アレクシス・サラサール(司会): みなさん、こんにちは!CMLL公式ポッドキャスト『Esto es Lucha』へようこそ。私はアレクシス・サラサールです。今週もまた、人気選手が伝説になるまでの軌跡を一緒にたどっていきましょう。

プロレスの世界には、リングの中だけでなく外でも話題を呼ぶ選手がいます。その中の一人が「エル・エルマニート・チュロ(=イケてる弟分)」そう、G・ゲレーロです

G・ゲレーロ :アレクシス!今日は招待してくれてありがとう。このような場所に来れてとても嬉しいですし、このCMLLの大切なポッドキャストに出演できて感謝しています。今、僕たちはいろんな意味でバズってますからね(笑)。リングの中でも外でも、いろんな“ファクト”を投下してるんですよ。

昨日の「CMLLインフォルマ」で、兄のU・ゲレーロがまさに“ぶっちゃけた”って感じで、CMLLにベルトを取り戻すと発言をして今SNSで話題になっています。
兄は本当に舞台を支配するタイプなので、ああいう場面では止められないんですよ。家族を守るためなら、あの情熱と闘志を全開にするんです。

僕たちは血のつながった兄弟で、お互いにとても大切な存在です。だから僕は気楽に構えてます。「兄貴、頼んだぞ!」ってね(笑)

アレクシス・サラサール:その発言については、あとで改めて聞きたいと思いますが…G・ゲレーロ、あなたのキャリアは意外と短くて、まさに彗星のごとく駆け上がってきました。最近の国際的な試合について、どう感じていますか?
U・ゲレーロも先日言っていましたが、あれだけの批判がある中で、あの2人の“モンスター”とタイトルマッチを戦ったのは、並大抵のことではありませんよね?

G・ゲレーロ:本当に素晴らしい時間でした。ビースト・モルテスクラウディオ・カスタニョーリのような強敵と戦えるなんて、夢が叶ったような気分でした。しかも、2試合の間隔が1週間もなかったんですよ。モルテス戦で負った怪我を治療するためにFisio(フィシオ=リハビリ施設)にも通いました。でも、怖さはなかったです。むしろ、こういうチャンスを楽しみたいと思っていました。僕がデビューしたばかりの頃、CMLLでの仕事は本当に少なくて、1試合したら次は3週間後…なんてこともありました。それに加えて兄とのトレーニングは常に厳しかった

ある時、兄に「なんでこんなに厳しくするの?仕事もないのに」って文句を言ったことがあるんです。そしたら兄の顔が一変して、こう言ったんです。
チャンスは突然やってくる。だから、いつ来ても100%の状態でいられるようにしておけ。もしチャンスが来たときに準備不足だったら、今までお前に注いできた努力が無駄になる。だから、常に全力で準備しておけ。」この言葉は今でも心に刻まれていて、毎日の糧になっています

アレクシス・サラサール:その言葉、まさにU・ゲレーロの哲学ですね。準備を怠らないことが、あの2試合のパフォーマンスにつながったんですね。

G・ゲレーロ:そうなんです。僕は1年中トレーニングしています。ウェイトトレーニングも、兄との練習も、そして機会があればヴィルス先生の道場にも戻って鍛え直します。だから、1週間で2試合が組まれても、怖くなかった。むしろ「今こそ自分を証明する時だ」と思いました。

クラウディオには勝てなかったけど、試合そのものは最高でした。夢のリストにまた一つチェックが入った感じです。あんな素晴らしいグラディエーターと戦えたこと、それだけで誇りです。

国際挑戦の舞台へ──クラウディオ戦の舞台裏

アレクシス・サラサール:クラウディオ・カスタニョーリ戦は、あなた自身が仕掛けた国際的な公開挑戦がきっかけでしたよね。あの試合の反響もすごかったですが、実際に戦ってみてどうでしたか?

G・ゲレーロ:正直、すごく楽しかったです。あの挑戦は「誰でもいい、来い!」っていう気持ちで出したんです。AEWにいるモンスター級の選手たちのことはよく知ってるし、自分の言葉の重みもわかってました。だから、動画を見た海外のレスラーたちからコメントが来始めたときも驚きはなかったです。
そして最初に名乗りを上げたのがクラウディオ・カスタニョーリ。火曜日の朝、ウェイトトレーニングを終えたところで「おはよう」の知らせが届いて…もう言葉にできないくらい嬉しかったです。

アレクシス・サラサール:試合の準備はどう進めたんですか?

G・ゲレーロ:すぐに兄と話し合って、どんな技が効果的か、どんな戦略でいくかを練りました。試合後、控室で兄と冗談を言い合ってたんです。「負けたけど、まあいいじゃないか。これでみんな満足しただろう」って(笑)。でも、次の日にはまたバズってて、「今度は“スイス人キラー”って呼ばれてるぞ!」ってね。

アレクシス・サラサール:SNSでの反応はどう受け止めてますか?

G・ゲレーロ:全部読んでますよ。真剣な意見もあれば、ただの八つ当たりもある。でも、どっちも楽しんでます。批判も、誰が言ってるかで受け止め方が変わります。尊敬する人やコーチからの意見なら真剣に聞くし、ただのアンチなら笑って流します。

アレクシス・サラサール:あの試合で話題になった“マルティネーテ”(パイルドライバー:ルチャリブレでは禁止技)についてはどう思いますか?

G・ゲレーロ:あれは新しい技だったんです。SNSで相手の得意技を調べられる時代だから、意表を突く必要がある。クラウディオにはそれを見せたかった。彼はそれでも耐え抜いた。力で攻めたけど、彼は最後まで息切れせずに戦い抜いた。本当にすごい相手でした。

アレクシス・サラサール:それでも、また戦いたいと?

G・ゲレーロ:もちろん。タイトルがかかってなくても、また彼と一騎打ちしたいです。僕は“楽な相手”とは戦いたくない。トップと戦って、自分がどこまで通用するかを知りたいんです。

アレクシス・サラサール:負けることへの恐れはない?

G・ゲレーロ:ないです。負けてこそ学べることがある。僕もまだまだやるべきことがたくさんあります。次は兄の試合を応援します。彼ならきっと、クラウディオからあのベルトを取り戻してくれると信じてます。

はじまりの一歩──サタニコのジムと“パンダのマロマ”

アレクシス・サラサール:G・ゲレーロ、あなたのキャリアの始まりについても聞かせてください。最初にルチャリブレに触れたのはいつでしたか?

G・ゲレーロ:あれは本当に面白い話なんですよ。兄もよく覚えていて、今でも笑ってます。初めてアレナ・メヒコのジムに足を踏み入れたとき、ちょうどサタニコ先生の練習が行われていて、たくさんの選手がいたんです。誰がいたかは覚えてないけど、とにかく衝撃的でした。

試合は見たことがあったけど、練習はまったく別物。みんながマットに叩きつけられたり、すごい動きをしていて、「これ、何してるの?」って兄に聞いたら、「あれがルチャの練習だよ。やってみたいか?」って。

アレクシス・サラサール:それで、翌日にはもう練習に?

G・ゲレーロ:そう、次の日にはもうリングに上がってました。でも、想像してたのと全然違ってて。僕、当時は筋トレの知識はあったけど、ルチャの動きなんて全然できなかった。最初の課題は「マロマ(前転)」をすることでした。

兄に「リングの端から端までマロマを2回やれ」って言われて、「マロマって何?」って聞いたら、「3歳の子でもできるぞ!」って(笑)。で、僕なりに転がったんだけど、まるでパンダが転がるみたいな感じで、兄は大爆笑。「それがマロマか?ただ転がっただけじゃないか!」って。

アレクシス・サラサール そこから本格的なトレーニングが始まったんですね。

G・ゲレーロ:はい、ゼロからのスタートでした。兄は本当に厳しくて、週6日練習して、うち4日は泣いてました(笑)。他の仲間よりもずっと厳しくされて、「できない」は許されなかった。「できる、やれ、やるしかない」って。

アレクシス・サラサール:それは家族だからこその厳しさですね。

G・ゲレーロ:まさにそうです。兄は「お前は家族だから、寝る場所や食べ物に困ることはない。でもその分、練習では誰よりも厳しくする」と言ってくれました。僕が本当にルチャリブレを愛しているか、覚悟があるかを見たかったんだと思います。

無名の獣──“タウルス”としての試練と兄の教え

アレクシス・サラサール:2012年の世代の中で、あなたは「Taurus(タウルス)」という名前でデビューしましたよね。当時は短命なリングネームになる予定だったと聞いていますが?

タウルス・写真

G・ゲレーロ:そうです。あの名前は兄が意図的に用意したもので、将来を見据えたものではありませんでした。最初から「これは経験を積むための名前だ」と言われていました。兄の名前に近いものを最初から使うと、どうしても比較されてしまう。だから、まずは“無名”としてリングに立ち、失敗してもいいから経験を積めと。

アレクシス・サラサール インディー団体での経験もあったんですよね。

G・ゲレーロ:はい、でもそれがまた大変で…。最初は誰にも知られていない存在でしたが、ある時から「こいつ、U・ゲレーロの弟だぞ」って噂が広まってしまって。すると、年上のレスラーたちが敵意をむき出しにしてきたんです。

アレクシス・サラサール:それは…かなり厳しい状況ですね。

G・ゲレーロ:ええ、正直怖かったです。僕はまだ18歳くらいで、相手は40代のベテランばかり。「お前があの弟か?じゃあ見せてみろよ」って感じで、試合中も試合外でも圧をかけられました

でも兄はそれを見越していて、「そういうことは絶対に起きる。だけど逃げるな。リングの中でも外でも、教えたことを全部出して立ち向かえ」と言ってくれました。

アレクシス・サラサール:その経験が、今のあなたを作っているんですね。

G・ゲレーロ はい。あの時は本当に怖かったけど、今では感謝しています。兄の教えがなければ、きっと途中で心が折れていたと思います。

名前を継ぐ夜──“グラン・ゲレーロ”誕生とマスクの重み

アレクシス・サラサール:2013年の初め、あなたは「タウルス」としての最後の試合を迎えます。そして、アトランティスの30周年記念大会で、ついに「グラン・ゲレーロ」として登場しましたね。あの瞬間はどうでしたか?

G・ゲレーロ あれは本当に衝撃的でした。名前は以前から兄と話し合っていて、「グラン・ゲレーロ」に決まっていたんですが、デビューのタイミングはまったく知らされていなかったんです。

その日、兄が突然「今夜のアトランティスの記念大会に出るぞ」と言ってきて、すでに衣装も用意されていて…。僕は完全にパニックでした。「えっ、どうすればいいの?何を話せばいいの?」って。

アレクシス・サラサール:マイクパフォーマンスもあったんですよね?

G・ゲレーロ:はい、兄に「絶対にマイクを持って話せ」と言われました。車の中でラジオの音量を上げて、「これが観客の声だと思って、それに負けないように話せ」と練習させられました。

控室では、兄が何度も僕をからかってきて、「準備できたか?」って笑いながら言ってくるんです。僕はもう緊張でガチガチでした。

アレクシス・サラサール:でも、あの登場は本当に印象的でしたよ。

G・ゲレーロ ありがとうございます。あの瞬間、兄がアトランティスを攻撃して、僕が登場して…まるで“ウルティモ・ゲレーロが二人いる”って言われるくらいのインパクトがあったみたいです。あの機会をくれた兄には本当に感謝しています。

アレクシス・サラサール:その数か月後、ウルティモ・ゲレーロはマスカラ・コントラ・マスカラ戦で敗れ、マスクを失いました。あの瞬間をどう見ていましたか?

G・ゲレーロ:控室のモニターで見ていました。兄が敗れてマスクを脱ぐ瞬間、僕も涙が止まりませんでした。マスクに込めた想い、愛情、それがすべて伝わってきて…。

アレクシス・サラサール ファンにとっても衝撃的な瞬間でした。

G・ゲレーロ:ええ、でも兄はその敗北を受け入れて、さらに強くなったんです。マスクを失うことは、ルチャドールにとっては“死”に近い感覚。でも兄はそこから立ち上がり、新たな自分を見つけていきました。

アレクシス・サラサール:あなた自身も、クラウディオ戦で敗れた後、兄に「ごめん」と言ったそうですね。

G・ゲレーロ はい、リングに倒れたまま「ごめん、負けた」って言ったら、兄は胸を叩いて「勝ち負けじゃない。大事なのはこの後どうするかだ」と言ってくれました。その言葉で救われました。

ESTO ES LUCHA: EL PODCAST OFICIAL DEL CMLL
– GRAN GUERRERO インタビュー‐