5/17 教師の日‐Dia Del Maestro CMLL-

CMLL

Hola Amigos !! るちゃ男(lucha‐O)です。5月15日、メキシコでは教師の日‐Dia De Maestro-でした。日本ではなじみがありませんが、この日は小中学校はもとより高校や大学、その他の学校で日ごろの感謝をこめて先生をお祝いする日です。もちろんルチャリブレでも例外ではなく現役、故人も含めて先生に感謝をします。今回はCMLLで感謝や親しみを込めてマエストロ、プロフェソール(先生)と呼ばれている(ネットで情報があった)選手を紹介します。今回もよろしくお願いします。

Dia del Maestro-先生の日・CMLL‐

Dia de Maestroは1918年に始まりました。当初はメキシコの教育改革を進める運動として設定されました。その後、教育者や教師への感謝と敬意を表す日として定着しました。この日は学校や教育機関で様々な行事や式典が開催されることが一般的です。また、生徒たちはDia de maestroに感謝の気持ちを示すために手紙やメッセージカード、花束などの贈り物を教師に贈ることがあります。地域によってはこの日は学校が休みになるところもあります。

動画元:VideosOficialesCMLL

ロランド・ベラ‐Rolando Vera-

1915年ヌエボレオン州モンテレイ生まれ。当時レスリング界では最も権威のあったNWAミドル級チャンピオンに4年間君臨。ドイツ、フランス、キューバ、イギリス、アメリカなどで活躍。レスリングを教えた生徒にブルーデーモンがいる。‐wikipedia-

ラウル・ロメロ‐Raúl Romero-

1909年ドゥランゴ生まれ。ミドル級・ライトヘビー級で最高のルチャドールと呼ばれる1人。

1937年10月24日 ルチャリブレvsボクシングの対戦でボクサーのメルセド・ゴメス・ジュニアと対戦し勝利。この試合が彼のルチャドールとしてデビュー戦となった。

ルチャドールとしての彼の試合はエキサイティングでエレガント。当時メキシコを巡業していた柔道家の木村政彦の目に留まり日本に来日。記録上彼が日本に一番最初に来日したメキシコ人ルチャドールとなる。生徒にはディアブロベラスコ、エル・サントがいる。

動画元:LUCHA WORLD

クワテモク・ディアブロ・ベラスコ‐Cuauhtémoc Diablo Velasco-

本名はクアフテモック・ベラスコ・バルガス。練習の厳しさからディアブロ(悪魔)の名前がついたともいわれている。選手名は「テルモ・ベラスコ」1937年にデビューをはたすが、エストレージャになれるほどの体格ではなかった。がレスリングスキルと試合運びの上手さに定評がありプロモーターやほかの選手から信頼をされていた。1952年にアレナコリセオ・デ・グアダラハラのコーチに就任。長年にわたって将来有望の若い選手を育て、やがて彼からルチャリブレを学んだ若い選手が団体の中心選手となると彼の名前は国内のルチャドールの間で広く知られるようになった。1997年にコーチを引退するが、亡くなる1999年までルチャリブレに携わった。記事元:WIKIPEDIA

主な生徒:アトランティコ、アトランティス、アポロ・ダンティス、アルカンヘル・デ・ラ・ムエルテ、アルフォンソ・ダンティス、アンヘル・ブランコ、アンヘル・ブランコJr、ウニベルソ2000、ウルティモドラゴン・シート、エル・サタニコ、エル・ソリタリオ、佐山聡、ソラール1号、ヒロ・マツダ、ペロ・アグアヨ、ミルマスカラス、ラヨ・デ・ハリスコJr

動画元:Aqui La Lucha

リンゴ・メンドーサ‐Ringo Mendoza-

グアダラハラのディアブロ・ベラスコのもとでトレーニングを受けて1968年デビュー。
兄弟にカチョロ・メンドーサ、インディオ・メンドーサがおり3兄弟共にルチャリブレで活躍をした。リンゴ・メンドーサはNWA世界ミドル級王座を5回、国内ミドル級王座を2回、CMLL世界ミドル級王座、オクシデンテ(グアダラハラ地区)ミドル級王座、UWA世界ジュニア・ライトヘビー級など数々のタイトルを獲得。タッグでも弟のチャチョロとメキシコ代表タッグ王座、キッス、ラヨ・デ・ハリスコJrをパートナーにメキシコ代表トリオ王座を獲得した。1990年初頭からレスリングコーチとしてCMLLの若手選手を育成。2011年に引退。記事元:WIKIPEDIA

グラン・コチィス‐Gran・Cochisse-

グアダラハラのディアブロ・ベラスコのもとでトレーニングを受けて1966年10月2日、14歳という若さでプロデビューを果たした。リングネームのグラン・コチースはアパッチ族の酋長コチースにちなんでつけられ、エル・インディオ・ブラボー「勇敢なインディアン」の愛称で呼ばれた。UWA世界ジュニアヘビー王座を1回、NWA世界ミドル級王座を3回獲得。1990年代後半からグアダラハラのアレナコリセオでレスリングコーチとして多くの選手を育てた。記事元:WIKIPEDIA

エル・サタニコ‐El・Satánico-

1973年6月17日デビュー。彼は当時人気のあった007の悪役であるエル・サタニコ・ドクター・ノー(悪魔のドクター・ノー)の名前を使用してデビューをしたが、しばらくしてリングネームは単にエル・サタニコとなった。また彼はマスクマンだったがデビューをした翌年の1974年にエル・ベンガドールとのマスカラ戦に敗れ素顔になる。1980年代に設立されたロス・インフェルナレスの主要メンバーの一人であり、2013年現在もロス・インフェルナレスの重要なメンバーの一人。
2009年、CMLLのルチャリブレスクールの仕事に集中するため、第一線からは退くことを発表。活動の場所をメキシコシティーからグアダラハラに移す。ルチャリブレの試合をこなしながら、レスリングスクールで才能ある選手も育てている。記事元:WIKIPEDIA
主な生徒:ラ・アマポーラ、ニエブラ・ロハ、ドラゴンロホJr、ゲレーロマヤJr、マルセラ、オクムラ、エル・サグラド、シルエタ、ソベラノJr、マスカラ・ドラダ、ティタン

アルカンヘル・デ・ラ・ムエルテ‐Arkángel De La Muerte-

1988年スペイン貴族のエル・シドに影響を受けたマスクマンとして「ミスター・シド」のリングネームでデビュー。1988年パンテーラⅡとタッグチームを組みナウカルパンタッグ王座を獲得。しかしその後パンテーラⅡとの抗争が始まりマスカラ戦まで発展。これに敗れたシドはマスクを取り素顔になった。
1991年 シドはリングネームを宗教的な雰囲気を持つアルカンヘル・デ・ラ・ムエルテと改名。
2000年半ばCMLLのルチャリブレスクールのコーチとして若い選手の育成に携わるようになる。また、当時彼は現役選手だったため若い選手が経験を積めるようにと大会の第2,第3試合で数多くの若い選手と対戦をして経験を積ませた。ミスティコのコーチとしても知られている。記事元:WIKIPEDIA